入江次郎が姫路市政にチャレンジ!

入江次郎の活動報告を中心に書いていきます。

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入江次郎の決意



★国労バッチにあこがれたJR時代

長年頑張ってこられた姫路市議 藤本洋さんの後をどんなことがあっても引継ぎたいと決意しました。

 
私入江次郎の経歴、入党のきっかけをお話しして決意表明とさせていただきます。1973年生まれの33歳です。生まれは明石市ですが、小・中・高校と上郡の学校に通いました。

中学、高校と野球部に所属して活発なスポーツ少年でした。上郡高校卒業後、JR東海に就職しました。今になって思えばここでの経験が僕の人生に大きな影響を与えていたのだといまさらながら強く感じます。本当に特異な会社でした。

就職内定が決まるとすぐに当局側の多数派の組合員が自宅まできて、「ほとんどの従業員がうちの組合だから安心して入ってもらっていい」と言って安心感を与えて組合加盟を勧める。

若い新入社員は現場を見ることなく組合に加盟します。私もその一人でした。

研修所に3ヶ月入りいよいよ現場である大阪保線所に入ることになりました。

その現場で、初めて労働運動を知りました。国鉄労働組合(国労)との出会いでした。

始業時間は9時です。体操が8時55分から始まります。

体操が始まると国労組合員はロッカー室に消えてしまい、終わると悠々とでてきて9時の始業点呼を受けます。胸には賞与カットの対象となる国労バッチ。

胸のポケットにはわざわざ管理者に見えるように「管理者摘発ノート」。昇進試験は時間外に行なわれます。

制服を着て受けるのが慣例になっているのですが、国労の人たちは時間外なので私服で試験を受けにいきます。

もちろんほとんどの人が試験に落ちます。当局からは嫌がらせのような出向、当局側の組合員ばかりの職場への配転、不当な脱退工作。

そんな嫌がらせにも屈せずに闘う国労の人たちが、いつの間にか私の目にはすごく格好よく映っていました。

気が付けば私も体操に出なくなり、QC活動にも参加しなくなりました。

さすがに国労組合員ではない私は組合員バッチはつけませんでしたが、昇進試験にはわざと赤いジャンパーに金のネックレスを着けて行くようになっていました。同期入社が3人おりまして、3人ともやんちゃ坊主だったので半分度胸試しのような感じもありました。その一方では、国労にさえ入れなければ大丈夫という保身的な逃げ場がどこか心の片隅にあったと思います。

そんな事をしているうちに現場長ににらまれ、助役ににらまれ、同期3人はバラバラにされ国労組合員の少ない部署に送りこまれ、何も仕事がわからない状態で「生意気なことをしてたら仕事教えないぞ」という雰囲気の中で、2年くらい過ごしました。

会社に擦り寄る気はありませんでした。若いしツッパてたんでしょう。

辞めるか国労に入るかすごく迷いました。JRになってからの新規採用者で国労に入ったというのを聞いたことがありませんでした。それだけに、見せしめ的な嫌がらせも相当きついだろうと想像していました。そんなことを考えていると国労に入る勇気が出ませんでした。

結局、まだ若いし、他に仕事を探そうと決意し最後に上司と大ゲンカしてやめてしまいました。威勢のいい辞めかたにまわりからは見えたでしょうが、私の心のなかでは、逃げ出したとはっきり解っていました。

★★逃げない生きかたをしたい 

会社を辞めて、寮も追い出されて、現実的な生活の問題が襲い掛かってきました。とにかくお金になる仕事をさがしました。

行った場所は西成区あいりん地区。体力には自信がありました。職種は線路工夫でした。朝から夕方までは線路脇の草刈、夜は終電から始発の間、線路内に入って枕木交換。2つの勤務をこなして1日1万8千円でした。

1日目で手には血マメが8個できました、一日中手にスコップを握っているので朝起きると手が固まって開かないので、お湯を掛けてゆっくりと手を開く。この時、ふと考えました。

国労の人たちならこの劣悪な状況をどう考えるだろうと‥‥。そんな事を考えながら、街で目にしたのが共産党のポスターでした。ポスターに書いてある電話番号に電話して、赤旗新聞を購読しました。

赤旗を通して、関電、新日鉄等、国労だけでなく、たくさんの労働者が闘っていることを知りました。私も逃げない生きかたがしたいと強く感動したのをこのあいさつを考えながら思い出しました。

★★★父親に肝臓を提供 

25歳で実家のある上郡に帰ってきました。網干の大企業専属の運送会社に就職しました。赤旗に折り込まれていた、「青年雇用シンポジウム」というビラをみて、参加しました。

そこで出会ったのが大脇市会議員の息子さんです。いまでは大親友です。彼に初めて入党を勧められて二つ返事で入党を決意しました。青年分野で共に走り回りました。本当に楽しい活動でした。

 私が30歳の時に父親が肝臓ガンで余命半年、助かる道は肝臓移植のみと宣告されました。父には言えませんでした。家族会議で母がドナーになると勇気ある決意をしました。

しかし、私は医師が「若い肝臓がお父さんにとって一番いい」と言っていたのを覚えていて、また「俺は逃げるのか」とすごく葛藤しました。

ここで逃げれば、一生、自分のことが嫌いになるぞ!と。医師にドナーを告げにいく朝になっても独り葛藤していました。医師を目の前にして、もう逃げる生きかたは嫌だと私は決断しました。

「僕がドナーになります。」母親はびっくりして止めましたが、「これは父のためでもあり、僕のためでもある。」と言って納得してもらいました。

手術は成功しました。しかし1年後、ガンが再発して手立てはなく、その後他界しました。父のこと考えると、いたたまれない気持ちになるのですが、僕には1ミリの後悔もありませんでした。

★★★★姫路を更に良くしたいと決意

党からの突然の要請で私も驚きました。一度はお断りしたのですが、地区の常任委員のみなさんの

「私たちも命をかけて姫路を良くしたい」

という熱意に心を動かされ決意しました。

もう逃げる生き方をしないと決めた僕には、後悔しない決断だったと思います。

 いま、若者を取り巻く雇用環境は本当に大変です。働いても働いても生活が豊かにならず、将来に夢も希望ももてない。また、先日業者後援会であいさつさせていただいた時にお聞きしたのですが、

「要介護度が下がってベットを取り上げられて、布団で寝たきりになった」と言われました。私の父親も自宅で闘病生活をしていて、初めは布団で寝起きしていたのですが、足腰が弱ってくると布団では寝起きができなくなってベットを使ってました。

この状態でベットを取り上げられると、早く死ねと言っているようなものです。たび重なる医療、介護などの社会保障制度の改悪で、市民生活はズタズタにされています。隠そうとしても、隠しきれなくなった自民党政治の逆立ち政治が、むき出しとなって市民生活に覆いかぶさっています。

 いまこそ、日本共産党の出番です。私もその一人として頑張り抜く決意です。杉本ちさと県会議員と姫路市会五議席を西播地区党一丸となって実現してください。私を働かしてください。よろしくお願いします。

みなさん選挙は2007年4月です。

ぜひ選挙に行って姫路市政そして日本を更に良くしていきましょう!

テーマ:選挙 - ジャンル:政治・経済

  1. 2007/02/14(水) 16:03:24|
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入江次郎のお約束

●国民健康保険料・介護保険料の引き下げ、
 障害者自立支援法の抜本的な見直しを求め
 もと市独自の政策を拡充します。

●庶民大増税、医療改悪、社会保障切捨て、
 消費税増税を許さず「市民の利益第一」にがんばります。

●税金の無駄使いをチェックし、
 公共事業入札の透明化をはかります。

●議員の政務調査費の全領収書添付を義務付け、
 議員歳費の10万円引き下げを求めます。

テーマ:政治 - ジャンル:政治・経済

  1. 2007/02/14(水) 16:00:28|
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